喪の課題(喪失の4つの課題)
エリザベス・キューブラー・ロスさんの喪失の5段階説 という、
どのように人が喪失を乗り越えて行くのかを5段階に分けた理論がありますが、
この他にも、人がどのようなプロセスを経て、喪失を乗り越えていくのかに関しては、様々な理論が出ています。
その中に、J・W・ウォーデンという方が提唱した「喪の課題」という理論があります。
これは、遺された人が、この世界でまた生きていく為に、
そして悲嘆を乗り越えて生きていく為には、4つの課題があるとするものです。
勿論、喪失の5段階説と同様に、
必ずしもこの4つの課題に取り組まなければいけないものでも、
その順序通りに進むというものでもありません。
喪失の5段階説と違うのは、喪失という体験はプロセスであり、
一つの状態ではないとする見方と、それぞれのプロセスにおいて、
直面すべき課題があり、それにより喪失に対する認識や、
大切な人がいなくなったこの世界をどのように生きていくのかという、
生きる意味や認識を再構成していく必要があるとする見方です。
少しでも、あなたが喪失という大きな大きな体験と苦しみや悲しみを乗り越えていく一つのキッカケになればと思い書かせて頂きました。
4つの課題をそれぞれ書いておりますので、必要だなと感じるところがありましたらご覧ください。
1.喪失の現実を受け入れること。
大切な人が亡くなった時、そのショックから私たちはなかなかその現実を受け入れられません。
これは、エリザベス・キューブラー・ロスさんがいう所の「否認」とも合致します。
大切な人が亡くなったという現実を受け入れられない状態です。
その為、その人が今も生きているかのように語り掛けることもありますし、
今は旅行に行っていていつかきっと帰ってくると信じる方もいます。
そして、「いや、たいして愛していたわけじゃない。」
「私は、一人でも大丈夫。」といように考えて、
喪失に対する気持ちを否認することもあるのです。
しかし、現実を受け入れられないのも当然です。
喪失というあまりにも大きなストレスや、その現実に心が耐え切れないのですから。
大切な人が亡くなった現実を受け入れて行くには時間がかかります。
一時、受け入れたと思っても、次の瞬間にまた会えるのではないかと、
そう感じることもあり、どちらの気持ちを何度も行き来しながら、
私たちは、その現実を感情的にも受け入れていくのです。
そして「喪失の現実を受け入れる」というこの課題1は、
「大切な人が死んだ。」
という否定したい現実を直視することでもありますが、
この課題に向き合い、直視するにも勇気がいりますし、
正面から向き合うのはとても力がいるのです。
だからこそ、感情的にも受け入れられるようになるまで、
どうか丁寧に時間をかけて下さい。
そして、やっぱり受け入れられない。直視できない。
と今は感じても、そんな自分を許してあげてください。
まだ心の準備が出来ていないだけなのですから。
ただ、もしあなたの心のどこかで「死んだのはわかっている。」
と感じていて、「その事実に向き合おう」という気持ちが湧き上がったなら、
その現実を受け入れられるように、向き合うのもとても大切なことなのです。
一人でその事実と向き合うには、苦しいかもしれません。
そんな時は、誰かを頼ってください。
そして、あまりに大きすぎる現実を誰かと分かち合い、
どうかその悲しみも分かち合ってください。
きっとその現実を受け入れた時、大きな大きな悲しみがやってくるでしょうから。
2.悲嘆の悲しみを消化していくこと。
現実を受け入れた時、大きな大きな悲しみが私たちを襲ってきます。
変えられない現実。
もう戻ってこないという現実。
もう触れることも、話しかけることも、笑い合うことも、
愛し合うこともできないという大きすぎる現実を直視した時、
その失ってしまったことの大きさに、
そのショックに悲しみ、涙が止まらなくなります。
大切に大切に、そして愛していればこそ、
その涙はとめどなく流れてきます。
現実を直視する。
受け入れる。
ということは、とても苦しく、そして言うまでもなくとても悲しいのです。
人はやはり苦しく、深い悲しみにはなかなか耐えられません。
だからこそ、その悲しみを感じないようにしたり、
いつまでも悲しみを抱えている人に対して、
「そんないつまでメソメソしているの。しょうがないじゃない。」といって、
悲しみの気持ちを「否定」します。
でも、この取り組みは上手くいかないことが多いのです。
それは、悲しみというのは感じることで解消していく気持ちであり、
否定しても、その悲しみは抑圧されただけであり、無くなっていないからです。
悲しい時に、その悲しみから逃げずに、しっかりと悲しむこと。
それがこの「課題2」で挙げられている悲嘆の悲しみを消化する
ということなのです。
その為、グリーフケアのカウンセリングでは、
しっかりと悲しみを感じられるように、
自身をいたわってもらったり、
悲しみを感じられるように援助するもあります。
ただ、この悲しみを乗り越えていくにも、
そして向き合うにもやはり力がいりますから、
ゆっくりと時間をかけて、少しずつその悲しみに取り組んでいくことが大切です。
※悲しみに関しては、こちらでも色々な記事を書いています。
3.故人がいない世界に適応すること。
これは、とても大きなテーマです。
大切な人が亡くなって、
今までしてこなかった金銭管理をしたり、
父親の役割もしなければならなかったり、
母親の役割もしなければならなかったりといったように、
故人がしてきたことを自らしなければいけなくなることも多くあります。
それまで気づかないうちにやっていてくれたことを、
今度は自分がするようになり、そのありがたさに感謝を感じる時もあるでしょう。
一方で、本当はこれは自分がやるべきことではなく、
あの人がやってくれるべきものだったのにと寂しさが湧いてい来る瞬間もあるでしょう。
そんな整理しきれない気持ちとは裏腹に、
現実のこの世界は進んでいってしまう部分がどうしてもありますから、
これまでしてこなかった役割を担ったり、
あの人がいないという世界でどのように生きていくのかという大きなテーマに、半ば強制的に向き合う段階が、この段階です。
Attigという方は、これを「世界を学び直す」と表現しましたが、その通りだと感じます。
「あの人と一緒にいる私」ではなく、遺された私という一人の人間を問い直し、
この世界には生きる意味があるのだろうか?と問い直し、
私という一人の人間の存在価値をも問い直す。
それは、自分が再び生きていく意味を再構成することであり、
あの人のことを勿論忘れるわけではなく、
忘れることなど到底できませんが、
あの人がいない世界を生きていく勇気を持ち、遺しくれたものに気づき、
再び生きていこうと、自分のペースで歩んでいくことでもありますから、
とても心のエネルギーが必要です。
適応できるに越したことはありませんが、適応できない時もまた必要です。
どうか進もうと、この世界をまた歩んでみようと、そう思えるまで丁寧に時間をかけて下さい。
4. 新たな人生を歩み始める途上において、故人との永続的な繋がりを見出すこと。
「故人との永続的な繋がり」という言葉だけを読むと、そんなこと出来るのだろうか?
と考えるかと思いますし、そんなこと出来ないだろうと感じるのも当然のことです。
この永続的なつながりとは、私たちの心の中に大切な人が生き続けられるような居場所を持つということです。
忘れるのではなく、諦めるのでもなく、確かにこの世界を懸命に生き、あなたと一緒に大切な時間を過ごしたあの人の居場所を、あなたの心の中に持ち、その確かにあった繋がりを感じながら歩み続けるということです。
大切なあの人への愛を持ち続けて生きることも大切です。
大切な人が教えてくれたことを学びに生かし、生活することも。
大切な人が大切にしていた価値観を、自分も大切にすることも。
あの人が与えてくれた人生の意味をその心のうちに大切にし続けることもできます。
確かに、もうこの世界には存在としていなくなってしまいましたが、
心の中で大切なあの人が遺してくれたものたちは、確かに私たちの心の中にあって、そういった大切なものたちと共に生きていくこと。
それがこの段階の「故人との永続的な繋がりを見出すこと」大切なのです。
そして、この繋がりを見出す為にもまずは、気持の整理をすることや、安定感を取り戻し、自分をいたわることや、それぞの気持ちを丁寧に感じることなどが大切になりますから、いきなりそういった”繋がり”に目が行くものでも勿論ありませんし、そうなる為には時間を掛けることも大切です。
何よりも、大切な人との繋がりは、見出そうとするものではなく、思い出すものであり、感じるものですから、自然とその気持ちが湧き上がってくるまで、時間を掛けてゆっくりと生きることが大切なのではないかと私は感じます。
まとめ
これまで、J・W・ウォーデンさんの「課題」という観点で書かせて頂きました。
この課題説も、段階説も一つの指針にすぎません。
それは、今の自分の状態を理解する指針であり、今自分が必要なことを知る一つの指針です。
喪失という大変大きな体験をどのように乗り越えていくのかは、勿論十人十色です。
ただ、今のご自分に必要なことや、大切なことに気づくキッカケになれば幸いです。
そして、もし一人では到底乗り越えられないと感じた時は、どうぞご相談にお越しください。