喪失の悲しみは流す。

「誰かが亡くなって悲しいのは、力になりたかったのになれなかったから。

そんな気持ちも大きいと思う。」
これは、私の知り合いのカウンセラーの方の言葉です。

こ大切な人を亡くすということは、言葉にもできず、気持も表現できず、

こころとからだがバラバラにされるような、

想像もできないほどの苦しみや悲しみがあります。

その時にやってくるのが、「もっとできたはずなのに・・・。」という思い、つまり後悔です。

あの時、こうしていれば、あの時に、こんな発言をしなければ、あの時…。

そんな思いが巡り、自分を責めて責めて、苦しくて、悔しくて、ふがいなくて…、

でもどうしようもできなくて…。そういった様々な気持ちが湧き上がっては、

また落ちこみ、時に立ち上がれなくなる…。

 

大切な人がなくなったわけですから、そうなるのも当然です。

そして、それほど「あの時こうしていれば、、、」という思いが強いのは、

それほどに自分が頑張って関わってきたからという気持ちが強いというあらわれでもあります。

だからこそ、もっとできたはずだと、そう思うんです。

 

もっとできたはずだということは、

もっと大切に、もっとその方の為に最善の方法で関われたはずだ、

という思いからです。

つまり、私が言うまでもなく、あなたにとって、それほど大切な人だったんです。

だからこそその苦しみや、後悔は私には計り知ることができません。

 

もっとできたはずだけれど、

もう取り戻せない悲しみは、

時にこころにぽっかりと穴をあけて、

僕たちの時計を止めてしまうこともあるけれど、

ゆっくりと時間をかけていけば、その穴は自然と埋まっていき、

取り戻せないその悲しみも、癒えていきます。

 

気持には蛇口があって、少しずつでも流していけば、

その気持ちはきれいになっていく、そいうものだと思います。
最初は、ショックで蛇口が固まって、水が流れない事もあります。

でも、そのかたまった蛇口も、緩む時が絶対にきます。