亡くなった方との絆を大切にする

大切な方を亡くした時、もうあの人の温もりを感じる事が出来ず、悲しみに暮れると共に、寂しさに襲われます。

あの笑い声や、手をつないでいた感覚や、話はしていなくても同じ空間で過ごす事で感じていた温もりをもう感じる事が出来なくて、私たちはそれを思い出すたびに、寂しく、そして悲しくなります。

それが大切な人であればある程、その思いは募り、寂しさや悲しみは深く、強くなります。

それほどに思いや愛を注いできたのですから、そうなるのも当然のことです。

とはいえ、その心の痛みは言葉では表せない程、苦しいものです。

どうして、そんなに苦しいのかというと、私たちが失ったのは相手一人だけではないからです。

喪失は、あなたと私たちを失う。

ある方からこんなことを教わりました。

「喪失というのは、「私」・「あなた」・「私たち」のうち、「あなた」と「私たち」の二つを失う。」

「私は、最初一人だったけれど、「あなた」が私の人生に来て、いつの間にか「私たち」になった。

大切な人を亡くすということは、「あなた」と「私たち」の両方を失うことなんだ。」って。

そうその方は教えてくれました。

その方も、どなたかが書いた記事を読んだと仰っていて、とても共感したということでしたが、まさにそうだなと聴かせてもらった私も感じました。

そして、同時にこうも感じました。

それは、「心の中の「私たち」はこれからでも大切にできるのではないか。」ということです。

心の中の「私たち」

どういうことかというと、確かに大切な「あなた」を失って、「二人で一人の私たち」も失ってしまったのですが、それは「直接触れることができる私たち」だけなのではないかということです。

と言いますのも、私たちは、色んな自分のセルフイメージ(自己概念)を持っています。
(セルフイメージとは、自分とはこういう自分という、自分対するイメージのことです。)
最初は、私という一人の人間の自分のセルフイメージだけれど、いつしか「あなた」が私の人生にやってきてくれます。

その「あなた」は沢山の喜びや愛、沢山のイライラや悲しみなど、色々なものを私にくれます。

そうやっていつの日か、「あなた」といる「私」という自分が心の中に出来上がってきます。

すると、あなといる自分が自然になっていき、「あなた」が心の中で「大切な人」になっていき、あなたといる私というセルフイメージも心中で丁寧に築かれていきます。

あなたといる私は、とっても安心する私かもしれません。

あなたといる私は、素直な自分でいられる私かもしれません。

 

そんな大切な「私」が心の中で築かれていくのです。

 

そして、私の人生に現れて来てくれた「あなた」といつの間にか関係が深くなっていき、「あなた」と「私」という境界線はなくなり、「私たち」になっていきます。

それが家族になったり、恋人になったり、お互いにとって大切な人になることですね。

そうやって、私たちはお互いの心の中に「絆」を作っていき、そのつながりを感じる度に安心感を感じて、日々を充実感を持って過ごすことが出来ます。

絆や温もりを直接は感じることは出来ないけど…

大切な人を亡くすということは、そういった絆やつながりを直接感じることができないということであり、それ以上のことでもあります。

だから、心がその繋がりを感じたくて、寂しさを感じさせ、その繋がりを感じることが出来なくてショックで、とっても心が悲しいのです。

そして、その絆やつながりは、直接肌で感じることが出来ないけれど、寂しさを感じる度に、心の中で「私たち」が感じていた絆や温もりは感じることができます。

ふと思い出すと、あの人の温もりや、あの人からもらった温かさを感じる事が出来ます。

まだ確かに心の中では、そのつながりを感じる事が出来るはずです。

まだ確かに心の中では、「私たち」を感じることが出来るはずです。

喪失を乗り越えていく過程は、この世を去ってしまった「あなた」が「私」に残してくれたものに気づいてく過程なのではないかと、そう思えてなりません。

とはいえ、残されたものに目を向けることそれ自体、とても心に負荷が掛かることですから、まずはご自分自身を労わり、心の安定を取り戻すことが何よりも大切です。

ゆっくり立ち止まりながら、時に戻りながら歩いていきましょう。

まずは、小休止。