悲嘆に暮れる権利がある。
大切な人が亡くなった時。
前を向くまでには時間がかかります。
人によって数か月かもしれないし、
半年かもしれないし、何年もかかわるかもしれない。
どれだけかかるかは、その方しかわからないのです。
ただ、周りの人にとっては、そのように時間がかかると頭ではわかっても、
なかなか冷静に対応できない場合もあります。
それは、ずっと前を向かないで、悲しみを抱えている家族や友人が身近にいると、
見ている側が辛くて、暖かく見守っていられないからです。
すると、
「いつまでも悲しんでない。」
「早く前を向いて。」
と声をかけがちですが、
悲嘆にくれる権利はその方のもので、
それを無理やり取り上げても、
後々かえって悪影響を与える場合もあるのです。
だからしっかりと、故人を悲しむ期間も大切なのです。
しっかりと、悲しめたという体験も、
その後の人生を生きる財産になります。
しっかりと、寂しがるということも、
その後の人生を生きる財産になります。
悲しみは、避けてばかりいると、
いつまでたっても癒えることはありません。
寂しさも、故人とのつながりを思い出させてくれますから、
悲しみと同様に、感じることがとても大切なのです。
不要な気持ちというのはないのです。
その為、大切な方を亡くされて2週間程度の方が
ご相談にいらしてくれる場合がありますが、
その際、私は何か心理学的な取り組みをしたり、
どうなりたいかなどを聞くことはありません。
その方がしっかりと悲しめるように、
その悲しみを抱える目の前の方をいたわることから始めます。
すぐに、楽になりたいという方は多いですが、
やはり時間をかけていい時期がありますし、
前を向く必要がない時期もありますから、
そのお話をしつつ、
その悲しみや寂しさを少しずついたわっていく関わりをしています。
49日という言葉があるように、
その間は、喪に服して、故人を悼む時期なのです。
気持の整理や、前を向いていくのは、後にして、
しっかりと故人を寂しがり、悲しむこともまた、
供養になるのではないかと私は感じています。
そして、この期間は悲嘆にくれていい権利を持っているのだと、
そう私は感じます。
もちろん、49日以降も。
周りが何と言おうと、丁寧に時間をかけてあなたのペースでまた進んでいきましょう。