感謝や後悔を伝えよう。

「おばあちゃん。」

僕は、おばあちゃん子でした。

秋田に住んでいたおばあちゃんは、

とっても明るくて、声が可愛いのです。

高校生の頃に、お姉ちゃんの友だちが家に電話を掛けてきた時に、

「今の人誰?めっちゃ声可愛かったけど。」って言われた程、

声が可愛いのです。(笑)

そして、散歩がとってもとっても大好きで、

よくおばあちゃんとお買い物に歩いて行きました。

買い物に行くと、おばあちゃんは必ず洋服を見に行って、

僕たちにもよく洋服を買ってくれました。

そんなおばあちゃんは、掃除が大好きで、

うっかりその辺にものを置いておくと捨てられちゃいます。

だから、何度も捨てられてその度に喧嘩をしたのを今でも覚えています。

まだ元気だった頃は、夏休みの度に姉と二人で秋田に行きました。

駅に着くと必ず迎えに来てくれて、一緒に家までの田舎道を3人で、

「暑い暑い」って言いながら歩いて、おばあちゃんの家まで行きました。

家に行くと必ずあるのがスイカです。

僕たちが好きだって知っているから、親戚のうちから本当に大きなスイカが、

玄関に必ず2つあって、そしてタッパーに食べやすいように四角く切ってくれた、

真っ赤な色したみずみずしいスイカを用意してくれていました。

そして、お風呂は癒えのお風呂に入らずに、

近くにあるスーパー銭湯にタクシーでいって、

そこで何時間も過ごして、近所の人も沢山来て、

夜ご飯はそこで食べたりすることも多くて、

もうすべてが良い思い出です。

そんなおばあちゃんが、ある時に雪道でこけて、

足を骨折する大けがをしてしまいました。

雪国に一人で、年齢も年齢だったので、

その時はお母さんがお父さんに頼んで、

家に呼んで一緒に暮らしました。

元々リウマチで悪かった足が、

骨折をして膝にボルトを入れられ、

立とうとする度に、ボルトがキリキリいって、

おばあちゃんの表情がゆがむのを見て、

僕はたまらなくなりました。

それでも、そんな素振りみせるわけにもいかないので、

「おばあちゃん大丈夫?」って。

声を掛けて、立ち上がるお手伝いをしました。

トイレまで歩く事も出来ない時は、

お父さんと一緒におばあちゃんをトイレまで運んだりしたこともありました。

おばあちゃんの足は何とか回復して、歩けるようになりました。

でも、散歩していた時に小さい女の子に自電車でぶつけられて、

そのはずみでこけて、また…。

それからというもの、ここには書きませんが、いろんなことが重なって、

最後は病院で亡くなりました。

母は毎日病院に通い。

日々弱っていく自分のお母さんのことがやっぱり悲しくて、

「おじいちゃんいつになったら迎えに来るのかなって、

あの明るかったおばあちゃんが言うんだよ。」って、

そう目に涙を貯めながら言っていた時は、たまりませんでした。

おばあちゃんのお見舞いに行ったとき、

おばあちゃんは意識はなくて、チューブにつながれていました。

その姿を見て、僕はたまらなくなり病室を去りました。

見ていられなかったのです。

涙が止まらず、しばらく病室に帰れませんでした。

おばあちゃんがこれから迎えるだろう死と、

僕は向き合うことができませんでした。

おばあちゃんが亡くなってから、

おばあちゃんを秋田へ連れて帰り、

お母さんとお姉ちゃんが、涙を流しながら死に化粧をして、

それを僕も「キレイだね。」って涙を流しながら見ていたのを今でも覚えています。

そして、人って死んだ後も身体は活動していて、

口から唾というよりも泡が出てくるのを僕は知らず、

「おばあちゃんの口から泡が出てるよ。」

生きているんじゃないの!?って本気で思って、

お母さんに聞いたら、「ひとし、これはね…。」って、

優しく教えてくれました。

死んでいるってわかってていても、

奇跡が起きて、蘇ってくるって。

どうしてもそう信じたかった自分がいたのです。

人の死って、そう簡単にやっぱり受け入れられません。

その後、おばあちゃんの写真を飾る為に、

家族みんなでアルバムをひっくり返して、

色んな写真を家族で思い出話と共に、

時に笑いながら、時に泣きながら選んだのを僕は忘れません。

その後、葬儀を終えて、

僕たちは、日常へ戻っていきました。

でも、僕はずっと後悔していることがありました。

中学生のころ。

せっかく遊びに来てくれて、お花がキレイな庭園に家族で一緒に行った時に、

思春期だった僕は、家族と一緒にいるのが恥ずかしくて、

おばあちゃんと写真を撮るのを嫌がったり、一緒に歩くのを嫌がったりしました。

その時におばあちゃんの何とも言えない、悲しいような残念なような顔を、

僕はずっと覚えていて、

もうごめんね。あの時、ごめんね。って言えなくて、

あんな思いをさせてしまったことに、

僕はずっと後悔をしていました。

カウンセリングを学んでいた時のこと、

ある演習で、誰かに感謝をつたえましょう。

というものがありました。

目の前に椅子を用意して、

その椅子に感謝を伝えたい人をイメージして言葉にする。

というものです。

そこで、僕はその時のことを思い出して、

おばあちゃんに、目の前の椅子に座ってもらいました。

イメージなのに、不思議なもので、

本当にいるような気がして、

「ごめんね。」って気持ちが湧き上がってきて、

僕はたまらず泣いてしまいました。

そして、

「おばあちゃん、おれずっとあの時のことを後悔していて…。」

って話しかけて、ずっと言えなかった気持ちを言葉にしました。

気持ちを言葉にしていくと、気持が止まらなくなり、

さらに泣きました。

でも、その時に言うことができたことで、

僕の気持ちは静かになりました。

大切な人が亡くなった時、

僕のように後悔していたことも、

謝りたいことも相手に伝えることはできません。

どんなに感謝していても、伝えることはできません。

でも、自己満足って言われるかもしれませんが、

言葉にすることはできます。

それは、悲しみや後悔や感謝を抱くあなた自身の為にもです。

本当の意味では届かないかもしれないけど、

いつか悲しみは終えなければいけません。

ずっと悲しんでいると、

あなたが大切だと思っているように、

亡くなった方もあなたのことがとっても大切なのですから、

そんなあなたがずっと悲しんでいると、

亡くなった方もきっと悲しいのです。

だから、時間はかかってもいいので、

ゆっくりとあなたのペースで悲しみや後悔は、

終わりにしていくことって大切なのです。

悲しみはやっぱり湧いてきます。

いつになってもやっぱり湧いてきます。

この文章を書いていても、

思い出してはやっぱり涙が出てきます。

それでも、この涙は悲しみだけじゃなくて、

もっとずっとあったかい気持ちが混じっています。

悲しみだけに飲み込まれないで。

って、僕はそう思うのです。

悲しみのそこには、もっとずっとあったかい気持ちがあります。

あなたがその気持ちに気づけますように。